『バーナム博物館』他

スティーブン・ミルハウザー『バーナム博物館』読了(5日)。

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

バーナム博物館 (白水uブックス―海外小説の誘惑)

楽しい読書。気に入ったのは「アリスは、落ちながら」「探偵ゲーム」「雨」「幻影師、アイゼンハイム」。中でも私の好きなミルハウザー!っていう小説は「幻影師、アイゼンハイム」。でも一番好きな文章はこれ。↓

舞台に立った双子の役者のように、ワイパーたちは左に右に、左に右にお辞儀を繰り返していた。喝采はすでに止み、観客は出口に向かって進んでいる。なのに二人はまだお辞儀をしていた―左に右に、左に右に、もう客たちはとっくに帰ってしまい、人けのない劇場は照明も消えているというのに。

自動車のワイパーを哀しい孤独な双子の役者にたとえるなんて。

■キャロル・オコンネル『アマンダの影』読了(9日)。

アマンダの影 (創元推理文庫)

アマンダの影 (創元推理文庫)

キャシー・マロリーシリーズ第2弾。チャールズ!!あなたって人は!!
あと、ミルハウザー「幻影師、アイゼンハイム」みたいなマジシャンが出てきてびっくり。脈略なく読んでいるのに繋がりのあるようなものに出会うとドキドキする。混乱もするが。実際そのマジシャンの記述で「あれ?あれ?読んだことがある気がするんだけどなんだっけ」としばし読書を中断した。

カズオ・イシグロ遠い山なみの光』読了(9日)。

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

遠い山なみの光 (ハヤカワepi文庫)

傑作。女たちの会話の「感じ」がうますぎる。特に、相手に伝えようとしているようで、自分自身に言い聞かせている、あの「感じ」が。向き合って会話をしているようで、すれちがってしまう、あの「感じ」が。
あとは、「書かれなかったこと」の存在感。主人公の悦子は、前の夫と別れ今の夫と出会いイギリスに移住したらしいが、そこら辺の詳しい経緯がまったく書かれない。あと、書かれないといえば長女の自殺をめぐることも。なんというか、「小説向き」な話がまったく書かれていないということを考えた。
昔見たある映画で準主役の女の子が「いろいろな事情があるのよ」と言っていて、その映画ではそこら辺の「いろいろな事情」(どうしてそういうことになったのか)が何も描かれていなかったのだけれど、でもその言葉ひとつで、「ああそうだな、いろいろあるよな誰にでも」と思ってしまい、その映画は、はっきり言って駄作の部類だと思うのだけれどもそれでも見てよかったな、とまどろっこしく思ったのを思い出す。
書かれなかったけれども、悦子にも長女にも「いろいろな事情」があったんだろう。その距離感。その存在感。

カート・ヴォネガット・ジュニアスローターハウス5』読了(11日)。

すばらしい。

トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ。トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。彼らはこういう、“そういうものだ”。

というわけで、ありとあらゆる死に関して「そういうものだ」と語られていく。しかし、ドレスデン無差別爆撃の「そういうものだ」はちょっと違う気がした。搾り出すような、ヴォネガット自身の声が漏れてしまっているような、「そういうものだ」だったんじゃないか、と。