雲助月極十番 於日本橋劇場

落語タグを使うのも久しぶりだ……。

五街道雲助怪談乳房榎―おきせ口説き
―仲入り―
五街道雲助怪談乳房榎―重信殺し」

行く前は、帰りが面倒くさいからどうしようと思っていたけれど、結果行ってよかった。満足。

雲助師匠は、やっぱりハッとする景色を見せてくれる。たとえば、浪江がおきせの部屋に忍び込んだ時に見るおきせの寝姿。落合のじっとりとした空気の中、ホタルが飛び違う。暗い本堂の中、死んだはずの重信が絵を描く姿が障子屏風にぼんやり浮かぶ。

本当にうっとりとため息が出る。

しかし浪江という男はとんだ最低野郎で笑ってしまうほど。口説きというか脅迫だ、それは。
1回だけでいいからセックスさせて→拒絶される→お前殺して俺も死ぬ→それでも拒絶される→子どもを殺してやる!……ってオイオイ。まあ結局は1回だけ、1回だけを繰り返しているうちにおきせも情が移っちゃうわけだが。

仲入り後から客席は真っ暗、高座には燭台がふたつ。そこで和ろうそくがゆらゆらと燃えていて雰囲気抜群。思い出したのは岡本綺堂のエッセイ「寄席と芝居と」に出てくる、綺堂が13、4歳のときに圓朝の「牡丹燈籠」を聴きに行ったときの話。

速記の活版本で多寡をくくっていた私は、平気で威張って出て行った。ところが、いけない。円朝がいよいよ高坐にあらわれて、燭台の前でその怪談を話し始めると、私はだんだんに一種の妖気を感じて来た。満場の聴衆はみな息を嚥んで聴きすましている。伴蔵とその女房の対話が進行するにしたがって、私の頸のあたりは何だか冷たくなって来た。周囲に大勢の聴衆がぎっしりと詰めかけているにも拘らず、私はこの話の舞台となっている根津のあたりの暗い小さい古家のなかに坐って、自分ひとりで怪談を聴かされているように思われて、ときどきに左右を見返った。今日と違って、その頃の寄席はランプの灯が暗い。高坐の蝋燭の火も薄暗い。外には雨の音がきこえる。それらのことも怪談気分を作るべく恰好の条件になっていたに相違ないが、いずれにしても私がこの怪談におびやかされたのは事実で、席の刎ねたのは十時頃、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道を逃げるように帰った。

昨夜の高座はまさにこんな感じだった。暗い夜道を逃げるように帰ったのは怖かったからではなく、電車の時間に間に合わなさそうで慌てていたからだけど。

この「寄席と芝居と」は落語歌舞伎好きの人は読んだ方がいいと思うよ!青空文庫で読めるよ!こちら→「岡本綺堂 寄席と芝居と