『オリクスとクレイク』

マーガレット・アトウッド『オリクスとクレイク』読了(17日)。

オリクスとクレイク

オリクスとクレイク

おもしろかったー。
語り手「スノーマン」が、今いる世界(人類がほぼ滅亡した近未来)のことと、「スノーマン」がかつて「ジミー」と呼ばれていたときのこと(ジミーの子ども時代や人類が滅亡するまでの過程)を交互に語っていく。

ジミーの唯一の友人クレイクが何をしたのかとか、オリクスをめぐる三角関係とか、ジミーの母親のこととか、ラカンクとか、チキーノブとか、そういったことがいちいちおもしろいんだけど、それよりもこの物語に関して、私は声を大にして言いたいことがある。

それは「文科系ってかなしい」だ。

ジミーがいた世界は、優秀な研究者を擁する大企業が、薬、サプリメント、各種臓器などを研究開発し、その研究者たちは壁に囲まれた企業の〈構内〉で特権的な暮らしをしている(同時に監視も受けている)、ということは理科系の頭脳こそ価値がある世界。彼の父親も優秀な研究者だし、母親もかつてはそうだった。しかしジミーは理科系ではなく、紙の本や古い言葉を偏愛している。

〈数学・化学・応用生物学〉を計測する〈オーガン・インク〉の物差しに照らすとジミーは凡庸に見えたはずだ。だから父親にしても、お前もがんばればもっとできるはずだと言うのをやめて、あたかもジミーが脳に損傷を受けたかのように、落胆を心に秘めつつ褒める形式に切り替えたていたのかもしれない。

「あの子は知的に高潔よ」とジミーの母親は言っていた。「自分に嘘はつかないわ」次いで青い瞳の母親は、“あなたは私を傷つけた”というおなじみの表情でジミーを見つめる。あんたもあんなふうになれればいいのに―知的に高潔な子に。

「クレイクの言うとおりね」とオリクスはひややかに言った。「あなたの頭脳はエレガントじゃない」

というようなことがこれでもかこれでもか、と出てきてそのたびにジミーはコンプレックスを感じている。……他人事とは思えない。

文科系ジミーは紙の本を読んだり古語(というより死語)を覚えたりしているわけだが「スノーマン」となった彼がこんなことを言う。

「言葉にしがみつけ」と自分に言い聞かせる。変わった言葉、古語、珍しい言葉。<ヴァランス―カーテンの上飾り布><ノルン―三女神><セレンディピティ―偶然の発見><ピブロック―風笛曲><ルブリシャス―卑猥な>自分の頭から消えたら、これらの言葉はなくなる。どこからも。永遠に。いままで存在しなかったかのように。

かなしすぎるだろう、これ。文科系のみなさんはここで号泣しなきゃダメだろう。

どうやらこの作品は「〈マッドアダム〉三部作」の1作目にあたるらしいので2作目以降が今から楽しみ(本国では2作目「The Year of the Flood」が2009年に刊行済み)。