『密会』他

ウィリアム・トレヴァー『密会』読了(4月21日)。

密会 (新潮クレスト・ブックス)

密会 (新潮クレスト・ブックス)

良かった。そりゃそうだ。ウィリアム・トレヴァーだもの。特に気に入ったのは「孤独」「夜の外出」「ローズは泣いた」「密会」。

取り立てて凝った文章、美麗な文章というわけではないのに、むしろそっけないような気もするくらいなのに、なんでこんなに深く深くグッときてしまうんだろう。たとえばこんなところ。

父はすでに栗を拾いはじめている。わたしたちは、父がとても珍しいという一羽の鳥を観察する。それがなんという鳥か、誰も知らない。栗はホテルにいる少年にあげるつもりだ。わたしたちの誰もが、それはあとで振り返って語り合う誕生日の思い出になることを知っているから。 「孤独」

それから、プーヴェリー先生は最後の合格ラインすれすれの生徒を教えているあいだ、まわりに何が起こっているか、ちゃんと知っているという話になった。階段のきしむ音やドアの閉まる音、妻の足音ではない軽快な足音、低く静かに流れてくる音楽の断片。そうした音の意味するところを知っている。 「ローズは泣いた」

「知っている」ということの悲しさ。それがどうして、たったこれだけの文章で胸に迫ってくるのだろう。

須賀敦子『ミラノ 霧の風景』読了(4月25日)。

何年かぶりに「須賀敦子を読みたい」と思ったくせに、家のどこを探しても本が見つからなかったので図書館で借りたんだっけ?と思い、とりあえずこの本を買った。この本を読んでいるうちにどこで読んだかを思い出す。もう何年も前、待ち合わせでいつも待たされていた私は、その人が来るまでの何十分を銀座のある本屋で須賀敦子を立ち読みして待っていたんだ。

町のあちこちには、高低の激しい、それでいて標準語にくらべると、なにか心もとないほど軽やかさのある、この町の言葉を操って楽しそうに立ち話をしているおばさんたちがいた。私はそれを聞いて、夫が死ぬ前年ぐらいから毎日、朝と夕方の一定の時間にミラノの家の庭にどこからかいっせいに集まって来たスズメの囀りを思い出すほどだった。鳥たちの集まるのはきまって一本の木で、それはネズミモチかなにか、煤で黒ずんだ葉がまばらについた、やみくもにひょろひょろと伸びただけの、なんの景色にもならない木だった。どうしてその木だけに来るのか、私たちは不思議に思ったが、それでも、その時間だけ、あの日当たりのわるい陰気な中庭が一瞬、生命の感覚のようなものに溢れるのだった。 「舞台のうえのヴェネツィア

アントニオ・タブッキ『島とクジラと女をめぐる断片』読了(4月26日)。

須賀敦子つながりで。とにかくうっとり。短編集というか断片集。ある土地で伝え続けられてきた、誰が作ったのかももうわからない哀しい歌みたいな本。

イアン・マキューアン『夢みるピーターの七つの冒険』読了(4月27日)。

夢みるピーターの七つの冒険

夢みるピーターの七つの冒険

徹頭徹尾キュート。どこまで読んでもかわいい話。マキューアンなのに。この本を読んで確信したのはなんとなくずっと思っていた「マキューアンってすごく優しい、いい奴なのでは」ということ。