小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』

小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』読了(6日)。

本にだって雄と雌があります

本にだって雄と雌があります

あんまりは知られてはおらんが、書物にも雄と雌がある。であるからには理の当然、人目を重ね、ときには書物の身空でページをからめて房事にも励もうし、果ては跡継ぎをもこしらえる。 p.3

なんてこと。参った。読み始めて20ページくらいで「この本大好きだ」と思ってしまい、引き込まれつつも読み進めるのがもったいないくてちまちま読んだ。

主人公の深井與次郎は語り手「私」の祖父。書籍蒐集家の彼とその一族(アジェンデの『精霊たちの家』から借りてくるなら「この家には本当におかしい人間はいなけど、でもみんなどこかおかしいのよ」)の人生を軸にして語られるのは「殖」える本=「幻書」をめぐる物語。どうやら「私」には語らなければならぬ「事件」があるらしく、そこにたどり着くまでの今日の雨を昨日のしょんべんから言う(「長短」ね)ような、あっちにいったりこっちにいったりそっちに飛んだりの饒舌な語りと、へんてこなエピソードに最初はむふむふ笑って読んでいたのに途中からはなぜだか泣けて泣けて仕方が無かった。

この本は本当に隅々まで魅力的なんだけど、特に與次郎の飛ばす法螺がいい。先に引用いた「書物にも雄と雌がある」のくだりもそうだけど、もうひとつ。

「おい、ひろぼん。本いうんはな、読めば読むほど知らんことが増えていくんや。どいつもこいつもおのれの脳味噌を肥えさそう思て知識を喰らうんやろうけど、ほんまは書物のほうが人間の脳味噌を喰らうんや。いや、脳味噌だけやないで。魂ごと喰らうんや。せやから言うてな、わしみたいにここまで来てしまうと、もう読むのをやめるわけにはいかん。マグロと一緒や。ひろぼん、知ってるか。マグロは泳ぐんやめたらな、息できんようになって死んでまうんやでェ。」 p.146

與次郎の妻ミキみたいに「なんやおもしろい話あらへんの」と催促したくなるな。

本棚、押入れ、ベッドの下、机の上、床、会社なんかにも本が溢れているのを見ながら「確かに自分でたくさん買ったのは認めるけどこいつら勝手に増えてるんじゃないの(この間かなり処分したし)」と思ったことがあるそこのあなたに今すぐ読んで欲しい傑作。

ちなみに私がこの本で一番笑ったのは與次郎の息子宗佑が初めて言葉を発した日の話だ。