『明治劇談 ランプの下にて』から

五代目菊五郎明治36年2月に、九代目団十郎が同年9月に亡くなって、団菊左の最後のひとり初代左団次が明治37年に亡くなったときの回想。せつない。

「左団次もとうとう死んだか」
去年の十一月、東京座で彼の「碁盤忠信」を見物したのが私としては最後であった。団菊以後の一人がここにまたほろびてしまったのである。わたしは俄かにさびしい心持になって、ぼんやりと表へ出ると、陰暦の十五夜に近い月の光があざやかに地を照らして、葉のまばらな柳のかげが白くなびいていた。どこやらで騾馬の啼く声もきこえた。かれの衰えは去年から目についていたが、戦場の秋にその訃音を聴こうとは思わなかったのである。わたしが八つの年に初めて新富座でかれの渥美五郎を見せられてから、もう幾年になるであろうか。そのあいだに私の記憶に残っている彼の役々はなんであったか。それからそれへと考えつづけて、わたしはその夜の更けるまで眠られなかった。
岡本綺堂『明治劇談 ランプの下にて』「日露戦争前後」)